2016年9月4日日曜日

東京大学2016 第五問

次の文章を読み、(A)(D)の問いに答えよ。

Last year, there was great public protest against the use of “anti-homeless” spikes outside a London residential complex, not far from where I live. The spikes were sharp pieces of metal stuck in concrete to keep people from Sitting or lying on the ground. Social media were filled with anger, a petition was signed, a sleep-in protest undertaken, and within a few days the spikes were removed. But the phenomenon of “defensive” or “hostile” architecture, as it is known, remains common.
[昨年、とあるロンドンの共同住宅街で「対ホームレス」用のスパイクを用いたことに対して、社会の大きな反対運動が起こった。その住宅街は、私が住んでいるところからさほど遠くないところにあった。そのスパイクは、人々が地面に座ったり横になったりするのを妨げる目的で、コンクリートに埋め込まれた鋭い金属片であった。ソーシャル・メディアは怒りで満ち溢れ、嘆願書への署名がなされ、眠り込み占拠による抗議が始まり、数日のうちにスパイクは撤去された。しかし、「防衛的」あるいは「非友好的」な建築が現れるということは、周知の通り、依然としてありふれたことである。]

From bus-shelter seats that lean forward, to water sprinklers, hard tube-like rests, and park benches with solid dividers, urban spaces are aggressively rejecting soft, human bodies.
[前方に傾斜したバス停の席に始まり、スプリンクラー、チューブ状の休息所、硬いついたてつきの公園のベンチに至るまで、都市空間は攻撃的なほど、柔らかい人間の体を拒絶している。]

We see these measures all the time within our urban environments, whether in London or Tokyo, but we fail to grasp their true intent. I hardly noticed them before I became homeless in 2009. An economic crisis, a death in the family, a sudden divorce and an even more sudden mental breakdown were all it took for me to go from a more than decent income to being homeless in the space of a year. It was only then, when I started looking around my surroundings with the distinct purpose of finding shelter, that the city’s cruelty became clear.
[東京にいようとロンドンにいようと、我々はいつでもこれらの「手段」を目にするが、その真の意図を汲むことができない。私は、それらの「手段」の存在にほとんど気づかなかった、自分が2009年にホームレスになるまでは。経済危機、家族の死、突然の離婚とそれ以上に唐突な神経衰弱。それだけで、たった一年間のうちに「かなりの収入」以上の暮らしから、ホームレスになるのに十分だった。その時になって初めて、つまり雨宿りする場所を探すという明確な目的をもって周囲を見渡して初めて、都市の冷酷さが明白になった。]

I learned to love London Underground’s Circle Line back then. To others it was just a rather inefficient line on the Subway network. To me –– and many homeless people –– it was a safe, dry, warm container, continually travelling sometimes above the Surface, sometimes below, like a giant needle stitching London’s center into place. Nobody bothered you or made you move. You were allowed to take your poverty on tour. But engineering work put a stop to that.
[その頃私はロンドン地下鉄のサークル線が大好きになった。他人にとっては、地下鉄網の中で幾分非効率的な路線に過ぎなかった。私にとっては––それと多くのホームレスにとっては––そこは安全で、乾燥した、暖かなコンテナで、そのコンテナは時に地上を、時に地下を、まるでロンドンの中心部をその場へ縫い付ける巨大な針のように、絶えず動いているのであった。私を邪魔する人はいないし、退去させる人もいない。電車巡りをしながら貧困を受忍することが許されていた。しかし、工学がそれに終止符を打った。]

Next was a bench in a Smallish park just off a main road. It was an old, wooden bench, made smooth by thousands of sitters, underneath a tree with leaves so thick that only the most persistent rain could penetrate it. Sheltered and warm, this was prime property. Then, one morning, it was gone. In its place stood an uncomfortable metal perch, with three solid armrests. I felt such loss that day. The message was clear: I was not a member of the public, at least not of the public that is welcome here. I had to find somewhere else to go.
[次に目をつけたのは、主要道路から少し離れた小さめの公園のベンチだった。それは古い木製のベンチで、何千人もの人が座ったのだろう、表面が滑らかになっていた。一本の木の下にあって、その木には葉が密に生い茂っていたため、よほどしつこい雨でなければ通り抜けることはなかった。雨宿りができ、また暖かく、ここは素晴らしい地所だった。だが、ある朝のこと、そのベンチはなくなってしまった。その場所には、座り心地の悪い金属製のベンチがあって、三つの硬いひじ掛けがついていた。その日は非常な喪失感を覚えた。メッセージは明白だった。私は公衆の一員ではない、少なくとも、ここで歓迎されている公衆の一員ではない。私はほかに行くところを探さなければならなかった。]

There is a wider problem, too. These measures do not and cannot distinguish the homeless from others considered more deserving. When we make it impossible for the poor to rest their weary bodies at a bus shelter, we also make it impossible for the elderly, for the handicapped, for the pregnant woman who needs rest. By making the city less ( 29 ) of the human body, we make it less welcoming to all humans.
[より広範な問題もある。これらの「手段」は、ホームレスとそれ以外のより援助に値する人々とを区別しないし、し得ない。貧民がバス停で疲れた体を休めることを不可能にするならば、休息を必要とする老人、障害者、妊婦が体を休めることをも不可能にすることになるのである。我々は、都市が人間の身体を受け入れる度合いを低下させることで、都市が人間を迎え入れる度合いを低下せているのである。]

Hostile architecture is revealing on a number of levels, because it is not the product of accident or thoughtlessness, but a thought process. It is a sort of unkindness that is considered, designed, approved, funded and made real with the explicit motive to threaten and exclude.
[非友好的な建築は、あらゆる段階で透けて見える。なぜなら、それは偶然や軽率さの産物ではなく、思考過程の産物であるからだ。それは一種の無情さであり、その無情さというのは考え抜かれ、設計され、容認され、資金を提供され、脅迫や追放というあからさまな動機によって具現化されたものである。]

Recently, as I walked into my local bakery, a homeless man (whom I had seen a few times before) asked whether I could get him something to eat. When I asked Ruth - one of the young women who work behind the counter- to put a couple of meat pies in a separate bag and explained why, her remark was severe: “He probably makes more money than you from begging, you know,” she said, coldly.
[最近、私が地元のパン屋に立ち入った時、一人のホームレスが(私はその人を何度が見かけたことがあったのだが)、何か食べ物を買ってくれないかと私に頼んできた。私がルースに––カウンターの後ろで働いている若い女性のことだ––二つのミートパイを別々の袋に入れるように頼み、その理由を説明したとき、彼女の見解は辛辣なものだった。「彼はたぶん、あなたより稼いでると思うけど、物乞いで」彼女は冷たく言った。]

He probably didn’t. Half his face was covered with sores. A blackened, badly injured toe stuck out of a hole in his ancient shoe. His left hand was covered in dry blood from some recent accident or fight. I pointed this out. Ruth was unmoved by my protest. “I don’t care,” she said. “They foul the green area. They’re dangerous. Animals.”
[たぶんそんなことはなかった。彼の顔半分は打撲傷で覆われていた。黒ずんでひどく傷ついたつま先が、彼の古い靴の穴から突き出していた。彼の左手は乾いた血液で覆われていた、最近の事故か喧嘩によるものだろう。私はそれを指摘した。ルースは私の抗議にも心を動かされなかった。「知らないわ」彼女は言った。「あいつらは緑地を汚すのよ。危険なの。ケダモノよ」]

It’s precisely this viewpoint that hostile architecture upholds: that the homeless are a different species altogether, inferior and responsible for their fall. Like pigeons to be chased away, or urban foxes disturbing our sleep with their screams. “You should be ashamed,” jumped in Libby, the older lady who works at the bakery. “That is someone’s son you’re talking about.”
[非友好的な建築が支持するのは、まさにこの見地である。すなわち、ホームレスというのは自分とは全く違う種であって、劣った人間であり、落ちぶれたのも自業自得だとする見地だ。まるで追い払われるべきハト、あるいはい金切り声で我々の眠りを邪魔する都会のキツネであるかのように。「恥を知りなさい」とリビーが話に割り込んできた。そのパン屋で働く、ルースより年上の女性である。「あなたが話題にしてる人だって、人の子なのよ」

Poverty exists as a parallel, but separate, reality. City planners work very hard to keep it outside our field of vision. It is too miserable, too discouraging, too painful to look at someone sleeping in a doorway and think of him as “someone’s son”. It is easier to see him and only ask the question: “How does his homelessness affect me?” So we cooperate with urban design and work Very hard at not seeing, because we do not want to see. We silently agree to this apartheid.
[貧困は、同時並行の、しかし分離された現実として存在している。都市を計画する者は、貧困を視界に入れないよう躍起になっている。ドア口で寝ている誰かを見て、その人が「人の子」だと考えるのは、あまりに哀れなことだし、あまりに気分が滅入ることだ。その人を見て、こう問うた方が気が楽だ。「この人がホームレスで、自分に何の影響がある?」そういうわけで、我々は都市デザインと共謀して、目に入らないように細心の注意を払う。なぜなら、自分は見たくなどないのだから。我々は暗黙裡に、この差別を認めているのである。]

Defensive architecture keeps poverty unseen. It conceals any guilt about leading a comfortable life. It brutally reveals our attitude to poverty in general and homelessness in particular. It is the concrete, spiked expression of a collective lack of generosity of spirit.
[防衛的な建築は、貧困が視界に入らないようにしている。それは、快適な生活を送ることに対するあらゆる罪悪感を覆い隠している。そして、我々の貧困一般に対する態度、とりわけホームレスに態度を容赦なく暴露している。そういう建築は、精神の寛容さが集団として欠如していることを表す、堅固でとげのついた表現なのである。]

And, of course, it doesn’t even achieve its basic goal of making us feel safer. There is no way of locking others out that doesn’t also lock us in. Making our urban environment hostile breeds hardness and isolation. It makes life a little uglier for all of us.
[そしてもちろん、そういう建築は、我々を安心させるという基本的な目標さえ達成していない。自分たちを内側に閉じ込めることなしに、他人を締め出すことなどできるはずがないのである。都会の環境を非友好なものにすることは、困難さと孤独を生み出す。そうすることは、我々全員の生活を、少し醜いものにしているのである。]



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